「100年人生」の時代を迎える日本社会において、これから社会人となる若い世代や、組織社会で現役として活躍している方々に対し、『ライフシフト』の意味や心掛けなどの雑感を綴りながら、日本の組織社会の変革と働く人たちの「幸福働」実現を提言してゆきたいと思います。

第1回目は、『老後』という意識。

『老後』はノンビリと!

『老後』は悠々自適に趣味に生きる!

豊かな『老後』を楽しみながら地域貢献を!
….等々

いった『老後』の響きには、組織社会から離れ隠居(英語ではretirement といいます)する!とのイメージがありますよね。

『老後』とは何歳からを指すのか?を考えてみると、日本の組織社会に厳然と存在する「定年制」が影響しているのではないかと感じます。

昔、会社勤めをしている人たちの定年は55歳の時代がありました。
大企業では、50歳を超えると「役職定年制」なる暗黙にルールがあり、役員への出世街道に入れない人たちは、ライン(部課長)の役職を後進に譲り、自らは部下を持たない専任職となる「人材新陳代謝制度」で、今も暗黙的に運用がされている大手企業は沢山あります。

そして、最近では政府からの指導等もあり、多くの組織が定年を60歳とし、定年後も再雇用する制度が導入されていますが、62-65歳で嘱託雇用も満了となるのが一般的です。

その後は、年金と退職金で生活資金を賄い、報酬の伴う仕事からは離れて暮らす『老後』というイメージ。

私自身62歳を超えて『老後』世代と看做される歳にはなりましたが、どうも実感が湧きません。確かに孫娘も来年から小学生となる「爺い」なのですが、社会貢献させて貰える機会を与えていただいている幸運もあり『働く意識と活力はまだまだ漲っているぜ!』との想いと『まだまだ社会活動ができるぞ!』との自負もあります。

私の仕事人生は、海外での生活7年を含め金融業界で25年、エンタテインメント業界で14年近く仕事をさせて貰っていますが、全く文化・風土の異なる業界や国に身を置いて様々な経験をしてきて思う事があります。

それは、仕事人生に於いて歳を重ねる(キャリアを積む) 意味とは、一つの組織での「出世競争」に邁進する事ではなく、人間社会に対して自分自身の「存在価値」を還元できるような生き方が出来るか!との想いです。

世の中「窓際族」と揶揄される言葉があります。

定年間際でラインから外れ、会社組織の中でこれといった仕事を与えられず、日暮らしを強いられるシニア社員の総称です。

会社組織で、責任仕事を任されて「やり甲斐と誇り」を心の支えとして粉骨砕身してきたシニア層の多くが、組織社会の暗黙ルールで「意欲」を剥奪されてしまう日本社会の掟により、いくら自分の「存在価値」を社会還元したくても出来ない現実を突きつけられています。

経営側の理屈は、「高コスト(給料の高い)シニア社員の活躍機会を作るより、低コスト(給料の安い)若年層社員や非正規雇用社員にリプレイスして人件費を削減し利益を上げる」
との発想を多くの経営者は考えているのが実態です。

政府が「働き方改革」や「定年延長」の旗振りをしても、組織のトップの意識が変わらない限りは何も変わりませんよね。

企業の存在意義は「幸福社会の実現」(多くの企業は理念やビジョンとして「幸福社会」を謳っています)である筈にもかかわらず、その企業等組織社会で働いている人たち、特にシニア社員の想いは如何に…..?
彼等はどれほどの「幸福」を感じているのでしょうか。

現役層の活躍機会を阻害せずに、シニア社員の活躍場をつくり、企業価値を向上させるにはどうすれば良いのでしょうか!

次回以降、私自身の経験を織り交ぜながら具体的な手法と考え方をお話ししてゆきます。

-続く-

岡田